2019年7月12日
イトログ, お知らせ

 

『樂』

 

季刊『樂』44号「長崎珈琲事情」に、寄稿という形で関わらせていただいた。

僕とコーヒーとの出会い、カリオモンズコーヒーの誕生、毎年通う産地の作り手たちや自然のこと、そしてこれからのコーヒー。

開業して10年という節目の時期にこういった機会をいただけたことはとても光栄なことで、たったの10年だけれどその軌跡をひとつひとつ振り返りながらまるで備忘録のように書かせていただいた。

 

共通認識のとおり、僕らが住む長崎は日本において初めてコーヒーが伝来した地だ。エチオピアをひとつの起源とし、薬や嗜好品として世界に伝播する中でこの長崎の出島に持ち込まれた。

歴史は動くことはないからその事実は僕らが住むこの街にとってとても誇り高い出来事だ。だからこそ、その歴史に恥じないコーヒーを提供したいというのが僕のひとつ目指すところ。

 

もちろん、何を以って恥じないかという部分はこの街に根ざしているコーヒーマンたちに委ねられる部分だろう。

 

僕の場合、それは「還元」

 

オープンした当初から言い続けていることだがコーヒー豆にはたくさんの作り手がいる。

コーヒーの木を育む自然、それにたくさんの人の手と情熱が加わって人生を揺さぶるようなコーヒー体験がうまれるのだ。

カウンターの前で働く僕たちの仕事は末端の飲み手から直接見えるからその魅力や努力を伝えることは比較的容易だけれど、それがひとつでも源流側に行くと、とたんにその仕事は不透明になる。仕事が直接見えないから当然だろう。

 

例えばコーヒー農家は近年スポットが当たりつつあるからなんとなくでも見たことある人も多いだろう。では、農家から持ち込まれたコーヒー豆の日付や数量を記録する現地の輸出業者の人は見たことあるだろうか?それらの品質を評価する人は?買い付けられらコーヒー豆をトラックに積み込み港まで運ぶ人はどうだろう?

毎年欠かさずに産地を訪問する僕ですら見たことがたくさんいる。それら全てがコーヒー流通に携わる一人の作り手なのだ。

その人たちがどれだけの賃金を得、どのような生活を営み、なにを夢見ているのか。そしてその夢への障壁はなにか。考えてみたことはあるだろうか。

 

僕は、僕がお店で提供しているコーヒー豆に関わる全ての人に不幸な人がいてはいけないと思っている。

農家から僕たちまでの作り手が情熱を持って働き、対価を受け取り、きちんと生活できること。

そしてその先の消費者が知らず識らずのうちに産業の搾取者にならぬよう、作り手の末端としての役割を果たすこと。

 

消費者が一杯のコーヒーに支払ったその代金が全ての作り手に的確に分配され還元される仕組みがあってはじめて、どの方向からも恥じないコーヒーとなりうるのではないだろうか。

それが日本で初めてコーヒーが伝わったこの長崎で実現できたらどんなに素晴らしいことだろう。そこには本当の意味での文化が存在するのだ。大切なのは消費量ではない。たとえ少量でもそこに宿るストーリーなのだ。

 

僕らの仕事は美味しいコーヒーをアピールすることではない。コーヒーの美味しさを伝えることにある。

 

そういった思いも少しだけ書かせていただいた樂の寄稿文。他の諸先輩方の記事もコーヒーに携わる身には気の引き締まる内容ばかりだ。是非たくさんの人に読んでほしい。

 

 

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